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先天の原気向上による消失

時折生後間もない乳児の湿疹の治療をさせていただく機会がありますが、 大多数が先天の原気を上回る多量の母乳を取り、その反応が顔面の胃経上に湿疹として現れるケースです。
この事情を知らないため病院へ行き、抗生物質を投与され続けても改善しないケースが多いようです。
少しでも参考にしていただければと思います。
「治療対象」 生後90日くらいまでの乳児。
「主訴」 顔面の湿疹

「治療法」

先天の原気の関係でメ腎経モの補法(私は・鍼で太谿穴を使いますが、手掌で経に随ってゆっくりと軽擦することもOK) 腹部を時計周りでゆっくりと軽擦する。

背部は頚部から腰部に向かってゆっくりと軽擦する。

「臨床のポイント」

母乳の与えすぎですので授乳間隔をあけ、泣いたらあげるということはしないように指導することが大切です。
また、湿疹の出来る訳を説明してあげることも大切です。

「腎と脾・胃」とのバランスの崩れですから、これを調整することがポイントとなるでしょう。
これだけで簡単に治癒させることが出来ますので敬遠せずに治療に取り組んでみてください。

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子供の頃から病気がちで、鍼治療をしている今が一番調子がよいといわれた症例(40歳代の女性)

病気のデパートとでも言うように多くの病気を抱えてこられました。特にうつ病・低眼圧性の緑内障を訴えての来院となりました。

うつ病に関しては、忙しい仕事の中、心身疲労してしまい朝になると起きれなくなり全く仕事にいけなくなったということです。また、緑内障を伴っていますが、原因のわからぬ目の奥の痛みを訴えておられました。いずれも病院へ通院されていますが、あまりはかばかしくなかったそうです。

「脉診をする鍼師を探していました。東京に行かなければおられないと思っていました。どうして目の奥が痛んだりからだの調子が悪かったりするんでしょう?うつも続いていて仕事が辛いです」との質問がありました。

私なりに東洋的な立場からどうしてそのような症状が出てくるのかをお答えしました。その答えを聞かれて、ほっと安心されたような表情をされたのが印象的でした。

初回の治療を終え、はじめに受けた印象が変わるくらいに声が明るくなられたようでした。定期的に治療に来てくださるようにお願いし、初回の治療を終了しました。その後週2回の割合で来院され、次第に元気になられました。目の奥の痛みも殆んどなくなり、前向きな様子となったようです。

ところが職場が変わり、更に忙しい状態に拍車がかかり、仕事内容も全く変わったため一から覚えなければならない状態となりました。そのため、うつの症状が消えていたのにまた再発し、以前よりも症状が強くなり、仕事にいけなくなってしまいました。

「朝起きれないんです。仕事に行かないとと思うのですが駄目です」かなり辛い様子です。

「心配しなくていいですよ。少し時間はかかりますが、また戻っていきますから大丈夫です。十分頑張っていますから。今のこの時間も大切なんですよ」

その後、治療を継続していきました。次第に表情も明るさを取り戻し、仕事に戻れるようになっていきました。しかし、仕事の忙しさに代わりがなく、心身の調子がよい状態に戻たため、職場を変わるという決断をすることができました。

現在も定期的に治療にこられていますが「子供の頃から具合が悪く、運動もできない子供でした。鍼治療を受けた今が、私の人生の中で一番調子がいいのです。ありがとうございます」と、感謝されました。

今回のように、うつ病のような精神的な疾患には鍼治療(経絡治療)というイメージがわかないでしょう。鍼治療といえば痛みを伴うものにというイメージが定着しています。しかし、氣を扱う経絡治療にとっては適応症ともいえるものなのです。うつ・精神疾患は氣の変動から生ずるもっとも典型的な症状なのです。これは古典の昔から書かれています。

現在少しずつではありますが、この症例のような方々の来院される数が増えてきています。このような治療によっても大きな効果が期待されます。回復がどうもよくない、なかなか軽快していかない等、感じておられる方は、一度体験してみてください。鍼治療のイメージが変わりますよ。

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“ 貝原益軒 「養生訓」” 中公クラッシクス より抜粋

胃の気とは

胃の気とは元気の別名である。沖和(ちゅうか・やすめ和らげる)の気である。病気が重くとも胃の気のある人は生きる。胃の気のない人は死ぬ。胃の気の脈は、長くなく、短くなく、遅くなく、速くなく、大きくなく、小さくなく、ちょうど年齢にあってほどよくやわらかく、きれいである。この脈は何とも名のつけようがない。自分で会得するよりほかはない。元気の衰えない無病の人の脈は、こういうものである。これは古人の説である。養生する人はいつもこういう脈を願うことだ。養生しないで気の減った人は、若くてもこういう脈が少ない。これは病人である。病脈だけがあって胃の気の脈のない人は死ぬ。また目に精神のある人は長生きする。精神のない人は命が短い。病人をみるにもこの術を使うがよい。

心をゆたかに

養生の術は、荘子がいったように、名調理師包丁(ほうてい)が牛を料理した如くであるべきだ。牛の骨の関節には隙間がある。肉切り包丁の刃はうすい。うすい刃を広い関節の隙間に入れれば、刃は動く余裕があって骨に触らない。それだから19年間も牛を料理してきたのに、包丁の刃はいま研いだばかりのようだったという。人の世においても、心をゆたかにして物と争わず、利にしたがって行動すれば、世にさわりがなく、天地が広い。こういう人は意に地が長い。

唾液を大事に

唾液はからだ全体の潤いである。変化して清血(血液の純粋なもの)となる。草木に精液がないと枯れる。大切なものである。唾液は内臓から口の中に出てくる。唾液は大事にして、吐いてはいけない。ことに遠くつばを吐いてはいけない。気がへる。

病気にあった治療を

何事もあまり良くしようとして急ぐと、きっと悪くなる。病気の治療もまた同じである。病気になったといって、医者を選ばず、むやみに医者を求めたり、薬を飲んだり、また鍼灸をむやみにしたりするのは害になることが多い。導引や按摩もそうだ。病気に適応するかどうかを知らないで、むやみに治療を求めてはいけない。温泉療法もまたそうである。

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