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“ 貝原益軒 「養生訓」” 中公クラッシクス より抜粋

胃の気とは

胃の気とは元気の別名である。沖和(ちゅうか・やすめ和らげる)の気である。病気が重くとも胃の気のある人は生きる。胃の気のない人は死ぬ。胃の気の脈は、長くなく、短くなく、遅くなく、速くなく、大きくなく、小さくなく、ちょうど年齢にあってほどよくやわらかく、きれいである。この脈は何とも名のつけようがない。自分で会得するよりほかはない。元気の衰えない無病の人の脈は、こういうものである。これは古人の説である。養生する人はいつもこういう脈を願うことだ。養生しないで気の減った人は、若くてもこういう脈が少ない。これは病人である。病脈だけがあって胃の気の脈のない人は死ぬ。また目に精神のある人は長生きする。精神のない人は命が短い。病人をみるにもこの術を使うがよい。

心をゆたかに

養生の術は、荘子がいったように、名調理師包丁(ほうてい)が牛を料理した如くであるべきだ。牛の骨の関節には隙間がある。肉切り包丁の刃はうすい。うすい刃を広い関節の隙間に入れれば、刃は動く余裕があって骨に触らない。それだから19年間も牛を料理してきたのに、包丁の刃はいま研いだばかりのようだったという。人の世においても、心をゆたかにして物と争わず、利にしたがって行動すれば、世にさわりがなく、天地が広い。こういう人は意に地が長い。

唾液を大事に

唾液はからだ全体の潤いである。変化して清血(血液の純粋なもの)となる。草木に精液がないと枯れる。大切なものである。唾液は内臓から口の中に出てくる。唾液は大事にして、吐いてはいけない。ことに遠くつばを吐いてはいけない。気がへる。

病気にあった治療を

何事もあまり良くしようとして急ぐと、きっと悪くなる。病気の治療もまた同じである。病気になったといって、医者を選ばず、むやみに医者を求めたり、薬を飲んだり、また鍼灸をむやみにしたりするのは害になることが多い。導引や按摩もそうだ。病気に適応するかどうかを知らないで、むやみに治療を求めてはいけない。温泉療法もまたそうである。

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