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今月も貝原益軒「養生訓」から多くのことを学んでいきましょう。自分のしたいように生活をしている現代人には、耳の痛い話になるでしょうが、少しの時間自分の心の扉を開いて、取り込んでみませんか。何らかの力になると思います。

引き続き「中公クラシックス・貝原益軒 養生訓より抜粋」いたします。

養生の術を学ぶ

人間にはいろいろわざがある。わざをみがく道を術という。すべてのわざには、習熟すべき術がある。その術を知らないと、そのことが出来ない。そのうち至って小さい芸能も、皆その術を学ばないで、そのわざを習わないと、そのことが出来ない。例えば蓑を作ったり、傘をはったりするのは、至極たやすい技ではあるが、それでもその術を習わないと作れない。まして人間の体は天地と合わせて三才というが、こんなに貴重な体を養い、命を保って長生きするのは、大変大事なことである。その術がなくてはならぬ。その術を学ばないで、そのことを習わないで、どうして養生と長生きが出来よう。そのくせ、小芸には必ず師を求めて、教えてもらって、その術を習う。なぜなら才能があっても、その術を学ばないでは出来ないからである。人の体は至って貴く、これを養生してたもつのは、至極大事な術なのに、師もなく、教えもなく、学びもしなければ、習いもしない。養生の術を知らないで、自分の心の欲に任せていては、どうして養生の道を身につけて、生まれつきの天寿を保てよう。だから、養生をして、長生きしようと思ったら、その術を習わないといけない。養生の術というのは、ひとかどの大道で、小芸ではない。心にかけてその術を勉強しなければ、その道に達しない。その術を知っている人から習得できれば、千金にも変えられない。天地・父母から受けた大変大切な体を持っていて、これを保全する道を知らないで、勝手に身を持ち崩して大病を受け、からだをなくし早死にするのは、なんとおろかなことだろう。

養生の暇がない

こういう異論もある。養生の術などというものは、隠居した老人や、また若くても社会から離れてのんきにぶらぶらしている人にはいいかも知れないが、武士として主君や親に仕えて忠孝に勤め、武芸を習って体を動かしているものや、農・工・商にたずさわって昼夜家のわざに努力して時間がなく、からだに暇のないものには、養生など出来ないだろう。こういう人が、養生の術ばかりしていては、からだがふやけて、そのわざがのろくなって役に立たない、というのである。これは養生の術を知らない人の疑問で、無理もない。養生の術はのんきでぶらぶらしているだけが良いというのではない。心を静かにし、からだを動かすのが良いというのだ。体をのんきにさせるのは、かえって元気が停滞して病気になる。ちょうど流れている水が腐らず、戸の回転軸のところが腐らないのと同じだ。動くものは長持ちし、動かないものはかえって命が短いということである。

睡眠の欲

昔の人は三欲を我慢するようにといっている。三欲とは、飲食の欲、好色の欲、睡眠の欲である。

飲食を制限し、色欲を慎み、睡眠を少なくするのは、みな欲をこらえることである。飲食と色欲を慎むことは、人は知っている。ただ睡眠の欲をこらえて、寝るのを少なくするのが養生の道であることは知らない人がいる。睡眠を少なくすると病気をしないようになるのは、元気が循環しやすいからである。睡眠が多いと、元気が循環しないで病気になる。夜遅くなって床に入って寝るのはいい。昼間に寝るのは最も害がある。日が暮れて早く寝ると食気が停滞して害がある。ことに朝夕に飲食がまだ消化せず、その気がまだ循環しないうちに早く寝ると、飲食が停滞して元気を損なうものだ。

昔の人が、睡眠を飲食・色欲に並べて三欲とするのはもっともなことだ。怠けて睡眠を好むと癖になって、睡眠が多くなり、こらえられなくなる。睡眠のこらえられないこともまた、飲食・色欲とおなじである。最初はしっかりこらえないと防げない。睡眠を少なくしようと努力して、習慣になると自然に睡眠が少なくなる。睡眠を少なくする習慣をつけることである。

少しの我慢

古い言葉に「莫大の禍は、須臾(しゅゆ)の忍ばざるに起こる」とある。須臾とはちょっとの間のことである。大きな禍は、ちょっとの間、欲をこらえないから起こるのだ。酒食・色欲など、ちょっとの間、少しの欲をこらえないため大病となり、一生の不幸となる。盃いっぱいの酒、碗半分の食をこらえないために病気になることがある。欲望は少ししか満たせないが、そのため傷つくことは大きい。蛍火ほどの日が家についても、盛んに燃えて大きな禍になるようなものだ。古い言葉に「犯すときは微にして秋毫の如し、病をなしては重きこと、泰山の如し」とある。まことにうまくいったものである。およそ小さなことが大きい不幸になることが多い。小さい過失から大きい不幸になるのは、病気の決まりである。警戒しないといけない。いつも右の古い言葉二つを心にかけて忘れてはならない。

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