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貝原益軒「養生訓」から学ぶ(その9)
09th 5月 2008
“ 貝原益軒 「養生訓」” 中公クラシックスより抜粋
怒れば氣のぼる
『素問』に「怒れば氣上る。喜べば氣緩まる。悲しめば氣消ゆ。恐るれば氣めぐらず。寒ければ氣閉ず。暑ければ氣泄る。驚けば氣乱る。労すれば氣へる。思えば氣結ぼる」とある。すべての病気はみな氣からおこる。病気というのは気が病むのである。だから養生の道は氣を調整することにある。調整するというのは、氣を和らげて平らかにすることである。およそ氣を養う道は、氣を減らさないのと、氣を塞がないのとにある。氣を和らげて平らかにすると、この二つの心配がない。
丹田に力を
へそから下三寸を丹田という。両方の腎のあいだの動気はここにある。『難経』に臍下腎間の動気は人の生命なり。十二経の根本なり」と書いてある。ここが人のからだの生命の根本がある場所だ。氣を養う術は常に腰を正しくすえ、氣の精を丹田に集中し、呼吸を静かにし、ことにあたっては胸の中から何度にもかすかに氣を口の中に吐き出して、胸中に氣を集めないで、丹田に氣を集める。このようにすれば氣がのぼらず、胸が騒がず、からだに力ができる。貴人に対して物を言うときも、大事変にのぞんで落ち着かぬ時も、このようにするがよい。やむをえず人と論争しなければならぬ場合も、怒気のためにきずつけられず、かるがるしくならず、間違わない。あるいは武芸・武術に励み、武士が槍・刀を使って敵と戦うにも、みなこの法を主とすべきである。これは何か一生懸命やろうとして、氣を養うのにためになる術である。およそ技能をふるおうとするもの、特に武士はこの法を知らなければならぬ。また道士が氣を養い、僧が座禅するのもみな氣の精をへその下に集中する方である。これは平静のかえる工夫であり、技能をふるうものの秘訣である。
七情の戒め
七情というのは、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲のことである。医書のほうでは、喜・怒・優・思・悲・恐・驚を七情にしている。また六欲というのがある。耳・目・口・鼻・身・意の欲のことである。七情のうち、怒と欲の二つが、もっとも徳を傷つけ、生をそこなう。怒りを抑え、欲を我慢するのは『易経』の戒めである。怒りは陽に属し、火がもえるようである。人の心を乱し、元気をそこなうのは怒りである。おさえて忍ばないといけない。よくは陰に属する。水が深いようなものだ。人の心を溺れさせ、元気を減らすのは欲である。注意して我慢するがよい。
十二少とは
養生に一つの要訣がある。要訣とはいちばん大切な奥義である。養生に志す人はこれを覚えていて実行するがよい。その要訣というものは少の一字である。少とは万事をみな少なくして多くしないのをいう。すべてひかえめに、いわば欲を少なくするのをいう。欲とは耳・目・口・体のむさぼり好むをいう。酒食を好み、好色を好むの類である。およそよくの深いのを積み重ねていると、からだをそこなって命を失う。欲を少なくすると養生になり命を延ばす。欲を少なくするにその項目が十二ある。「十二少」と名ずけられている。必ずこれを実行することだ。食を少なくし、飲むものを少なくし、五つの味のつけすぎを少なくし色欲を少なくし、口数を少なくし、事を少なくし、怒りを少なくし、憂いを少なくし、悲しみを少なくし、思いを少なくし、寝るのを少なくすべきである。このように何でも少なくすると元気が減らず、脾腎をそこなわない。これは長生きする道である。十二に限らず何事も身のおこないと欲とを少なくするがよい。
物事に数多く、幅を広げすぎてはいけない。数が少ない、幅が狭い方がよい。
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