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貝原益軒の「養生訓」から少し学んでみたいと考え、数回のシリーズに分けて書いていこうと思っておりますが、なかなかのボリュームで、しかも抜粋が難しくどれも貴重な言葉の連続です。私ごときが解説できる代物ではなく現代にも十分に通じる言葉ばかりです。その中で、皆さんと共に学び、是非実現実行していければと願います。

尚、貝原益軒は江戸時代の前期から中期にかけて活躍された方で、儒学者、博物学者、教育家として有名ですこの「養生訓」は彼の晩年に書かれた教訓書として有名です。

「中公クラシックス・貝原益軒  養生訓より抜粋」

「養生訓」 総論から

人間の体は父母をもとにし、天地をはじまりとしたものである。天地・父母の恵みを受けて生まれ、また養われた自分のからだであるから、自分だけの所有物ではない。天地からいただいたもの、父母の残して下さったからだであるから、謹んでよく養って、痛めないようにして、天寿を長く保つべきである。これが天地・父母に仕える孝の本である。

自分のからだに備わっているものは、小さな皮膚や髪の毛でさえ、父母から受けたものだから、むやみに痛めるのは不幸である。まして大きな生命を、自分ひとりのものと思って、慎まず、思うままに飲食・色欲にふけって、元気を損ない、病を求め、もって生まれた天寿をちじめて、早く生命を失うことは、天地・父母への最大の不幸で、愚かなことだ。

もっぱら父母・天地に孝をつくし、人倫の道を行い義理にしたがって、出来ることなら幸福になり、長生きして喜び楽しむことが、誰も願うところでないか。こうなろうと思ったら、まずさきにいった道を考え、養生の術を学んで健康を保つことである。これが人生でいちばん大事なことである。

養生とは

庭に草木を植えて愛する人は、朝晩心にかけて、水をやったり、土をかぶせたり、肥料をかけたり、虫を取ったりして、よく養い、その成長を喜び、しおれるのを悲しむ。だが草木はごく軽いものだ。自分のからだは至って重い。どうして自分のからだを草木ほどにも愛さないでいいことか。

身を慎み、生命を大事にするのは、、人間最大の義務である。

内欲と外邪と

養生の術は、まず自分のからだを損なうものを遠ざけることである。からだを損なうものは、内欲と外邪とである。

内欲_ 飲食・好色・眠り・しゃべりまくりたい欲と七情の欲(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)

外邪_ 天の四気(風・寒・暑・湿)

内欲をこらえて少なくし、外邪を恐れて防ぐのである。こうすれば元気を損なわず、病気にならず天寿を保つだろう。

内欲をこらえる

およそ養生の道は、内欲をがまんするのを根本とする。この根本をしっかりやれば、元気が強くなって外邪も犯してこない。元気が弱いと外邪に負けやすくなり、大病となって天寿を保てない。内欲を我慢するのに大事なのは、飲食を適量にして飲みすぎ食いすぎをしないことだ。脾胃を傷つけ病気をおこすものは食べない。色欲を慎んで精力を惜しみ、寝るべきでないときに寝ない。長時間眠ることを戒め、楽だからといって長く座っていないで時々からだを動かし、気の循環をよくしなければいけない。

食べ物がまだ消化していないのに早く床に入って眠ってしまったりすると、からだの中に停滞が起こって病気になり、いつまでも繰り返していると、元気が出てこないで弱くなる。ふだんから元気を減らすことを惜しんで、言語を少なくし、七情をほどほどにするがよい。七情の中でも、とりわけ怒り・悲しみ・憂い・思いを少なくすることである。

欲を抑え、心を平らかにし、気を和らかにして荒くせず、静かにして騒がず、心は常に和楽でなければならぬ。憂い苦しんではならぬ。これはみな内欲をがまんして元気を養う道である。外邪を防いで負けないようにする。

これら内外のいろいろな用心は養生の大事な項目である。

まさに、現代にそのまま通じる文言である。自分の命は決して自分だけのものでなく、自分さえよければということは養生に反することとなる。

是非、参考にして養生していきたいものです。次回に続きます。

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食養生について

08th 4月 2006

よく具合が悪いときや、風邪を引いたときなど、「栄養をつけないと元気になれないよ。とか、体が疲れぐったりしているにもかかわらず、もっと食べないと元気になれないよ」と言われ、肉等を一生懸命食べることが当たり前になっている昨今です。いつからこんな風になったのでしょうか。

私が幼かった頃には、あまり聞かなかったような気がします。元気な体を作るには、確かにしっかり食べることは大切ですが、果たしてからだが疲労し、まさに今、病と闘っている体にとって、しっかりと食べることはどうなのでしょうか。少し考えてみましょう。

その前に、ひとつ考えてみたいことがあります。

最近、粗食について話題となり、食べ過ぎの現代人に注意を喚起しています。私も粗食を勧めている一人ではあります。以前、ラジオを聞いていましたら、次のような話がありました。結構前のことでしたので正確には記憶していませんが、趣旨は次のようなことだったと思います。

最近話題の粗食に対して、少し批判的な立場からの発言です。

「ここまで平均寿命が延び、世界に冠たる長寿国となったのは、現代の栄養学の貢献が大きいと言えます。今、言われているような粗食では、ここまでの成果は出なかったのではないでしょうか」と言われました。

確かにこの点では貢献大とはいえます。戦前までの平均寿命はここまでではありません。しかし、食べすぎ、動物性のタンパク質の取り過ぎ等で半病人と言われる人たちが増えています。多くの場合、このような栄養過多の人たちが増え、高血圧・糖尿病・心臓病・脳梗塞・膠原病等多くの病気を生んでいると言えます。更に、アレルギーもタンパク質の摂取過多の結果、発症が増えているとの見解もあります。

栄養学によって寿命の飛躍的な延びが持たされましたが、その反面多くの弊害も生んできたのではと思わされます。それは、多くの方が病院を訪れ、多くの薬を服用している現状を見るときにそう思えてなりません。

今だからこそ、粗食が大切なのではと思えてなりません(私の勝手な思いですが)

さて、前置きが長くなりましたが本題に戻ることにしましょう。

わかりやすく事例を挙げてお話しましょう。

1.仕事が忙しく、眠っても疲労がぬけない場合

多くの場合、体の疲れを栄養を一生懸命取り入れれば、疲労回復し元気になれると信じています。食べれば元気になれる。特に、肉等しっかり取ればもう大丈夫。と言う常識があります。

しかし、果たしてそうなのでしょうか。

体が疲れきっているということは、体の基本となる内蔵諸機関も当然その機能を低下させています。体が疲れているのに内臓だけが元気とはなりません。疲れがピークとなれば、それに伴って食欲は落ちているはずです。

食欲を落として、体は自己防衛をしているのです。疲れている胃・腸に食べることによって更に負担をかけ、回復を遅らせているのです。

2.風邪を引いて、熱が出、体がだるい状態

体は風邪を治そうと熱を出し、ウイルス等と戦っています。つまり、ウイルス等と戦うために熱を上げるのです。

この状態で食事をしっかりと取ると、血液の多くが消化管に廻され、せっかく戦って必要とされている血液が不足してしまう事態に陥ります。その結果、戦いに負け、風邪の状態が長引いてしまいます。

これは極端な話ですが、できるだけ少食にし、余力を残しておく必要があるといえるでしょう。

このように、単に食べればいいというものではなく、そのときの体の状態によって、つまり体に聞きながら食べる必要があるといえるでしょう。

「腹八分に病なし」常人でこの数値です。具合の悪いときは「腹六分」ぐらいの必要があるでしょう。

ここまでは、私の体験したことと、学んだことから書かせていただきました。

次回から、江戸時代の貝原益軒「養生訓」から何回か学んでみたいと思います。

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小児と低体温症

08th 3月 2006

昨年にも「冷えについて」の中で、小児の低体温についてお話しました。また、いつかこのお話をしてみたいと思いつつ、ようやく今月にその機会が訪れました。

私ごとですが、いつも朝、開院準備をしながらラジオを聞いています。ちょうど私が朝の刺鍼練習をしている時間、もしくは刺鍼練習後治療に向けて指を作っている時間に好きなラジオのコーナーが始まります。「ライフパレット・子育て応援コーナー」です。こう書きますと「あぁ~」とお分かりになられる方もいらっしゃるでしょう。私もこのコーナーのお話しを聞いて「なるほど~」と納得させられることが多いのです。その中で「小児の低体温症」に関するお話がありました。私自身もこの問題について以前に触れていましたので、いつも以上に耳を傾けました。そして、いつかまたこの問題に触れたいと思った次第です。

現在、四人に一人の割合で低体温の小児がいるそうです。当院を訪れる小児たちも大体の場合、手足が冷たく、しかも手足がかなり湿っているのです。

小児と言えば新陳代謝が活発で、体温が高いと言うのが通り相場のはずです。よく冷え性のお母さんが子供に添い寝するとき、湯たんぽを抱いているようだと言われたものです。でも、こんな話が昔話になってしまいそうな勢いです。このことを案ずるのは私だけでしょうか。

「どうして」と問われても、そこにはいろいろな原因があげられるでしょうから「これが」と言える決定的なものをあげることは難しいでしょう。でもあえてあげてみましょう。

ひとつは、生活習慣の変化です。現在、私たちは密閉された快適な空間で生活しています。昔のように隙間風が入って寒い部屋にいることはほとんどないでしょう。そのため外界からの刺激に対して弱い状態を作り出しています。更に、問題点は、クーラーの影響が非常に大きいでしょう。

タクシーの運転手さんが言います。「クーラーで冷やされるのが一番辛いです。芯から冷えてきていくら暖めても体が元に戻らないんです。冬の暖房よりもずっと悪いですね」

もうひとつは食事の問題でしょう。外国の料理が入り込んで、目にも口にもおいしい料理があふれています。そのため、日本人が培ってきた和食・家庭料理が忘れ去られています。日本人が大切にしてきた陰・陽がなくなってきました。そのために体を芯から温める食事が追いやられ、体を冷やす食事が人気を博しています。その結果、体は冷えるべくして冷えていると言えるでしょう。

冷えのために体調を崩し、治療に来られている方が大半です。

少し考えてみてください。忙しい日々を送っておられ、そこまで余裕がないとは思いますが、低体温の虚弱な子供さんではなく、子供らしい元気一杯な湯たんぽのようなお子さんに育てたいものですね。

一考をお願いします。

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前回の中で鍼は「戒め」を意味し、鍼師自らを戒め、また患者さんをも戒めると書きました。そして「ひとつにする」と言う意味合いもあることに少し触れておきました。

それでは「鍼」と言う文字の「咸・かん」の意味するところから考えてみることにしましょう。

「同じにする」「心をひとつにする」と言う意味があります。更に、心をひとつにするとは、「陰陽の調和」をも示唆しています。

それでは「陰陽の調和」「同じにする」とは何を言っているのでしょうか。陰陽の世界からで東洋思想・東洋医学の基本的な考え方や思考の仕方等お話しておきましたが、ここでは「鍼・経絡治療」との関係からお話させていただきます。

まず、治療に際して五臓六腑のことから始めましょう。「陰陽の調和」とは、例えば「肺と大腸」との調和を指しています。つまり、この二つを調和させ、アンバランスな働きを等しくすることを意味しています。このことは他の臓器にも同じことが言えます。これら五臓六腑がその陰陽のバランスを整え、同じような力で働けるようにする。これを「鍼」によって実現していくこと。これが「鍼」と言う文字の現す意味と言えます。陰陽の調和、これは体のどの部位においてもです(詳細はコラム2005年の陰陽の世界からをを参照ください)

これらのことでお分かりいただけたと思いますが、「鍼」は陰陽の調和を実現していくための道具、しかもそれは「気」の過不足を調整し、陰陽を調和させるための道具と言えるでしょう。

このことからも「鍼」は、単なる刺激するための道具ではないと言えるでしょう。

「鍼の本質」とは、お分かりいただけたでしょうが、経絡の虚実を捉え、補瀉することにより「陰陽の調

和」を実現していくために用いられるも。「気の調整」をするために用いられるものと言うことができるでしょう。

これらのことは、多分に私見が入っていますが、「鍼」と言う文字はこれらのことを包含し、治療法をも示唆していると言っても過言ではないかもしれませんね。

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最近テレビ等で日本語に関するクイズ番組が増えているようですが、そんな中に「鍼灸院」をなんと読むかという問題がありました。
結構高い確率で正解していましたので、鍼灸院も結構認知されているんだと少し安心しました。
でも、「鍼と針」がどういう違いを持っているのかまでは知らないだろうなと思ってしまいました。
「鍼」の意味がわかったら、注射針や裁縫の針から受ける「針は痛い」と言う感じを変えることができるかも知れませんね。
前置きが長くなってしまいましたので、早速本題に入りましょう。
まず「針」の意味からお話してみましょう。 針は金と十から成り立っています。金は意符・十は音符で「穴のあるはりを意味し、しつけ針・縫い針をあらわします」
つまり、私たちが日常的に使っている裁縫の針がイメージされますね。
これに対して「鍼」はどうでしょうか。
意味を調べますと、「縫い針・薬ばり・病気を治す針」となります。
この二つを比較しますと、多少の違いはありますが 大きな差はないように感じられますね。
冒頭で意気込んで話始めたのに「なんともこんなものか」と思ってしまいますね。
実は、もっと大事な意味を持っているのです。
それには中国の金・ 元の時代に医書の中に使われている「箴(はり)」と言う文字にヒントがあります。
この文字も「鍼」と同じ意味で使われ、「鍼」を意味しています。
この「箴(はり)」は、「いましめる」とも読み、 行いを戒める・季節を軽んずると言う意味を持っています。
つまり、この時代にこの文字をわざわざ使っていることに何か意味があるのでしょう。
ただ、現代に暮す私には計り知れないものがありますが、この文字の「戒める」が大切と言えます。
私たち経絡治療を行う鍼灸師は、鍼を使って「気」の過不足を調整し、痛み等、病を治していきます。
つまり、「鍼」は単に刺激するための道具ではなく、「気」を扱うものなのです。
この「気」の調整を行うためには、鍼師自身体調を整え「気」を十分に出しながら治療に当たらなければなりません。
それほどに「気」を調整すると言うことは簡単ではないのです。
その意味で、鍼師自身自らを戒めながら、患者さん一人一人に接していかなければなりません。
この意味で、「箴(はり)」は同時に「戒め」をあらわしていると言えます。
更に、この「戒め」は悪しき生活習慣によって体調を崩し、病・痛み等を発生した患者さんにも向けられています。
鍼によって「気」を調整しつつ、悪しき生活習慣等を改めさせる必要があり、 脉診等によって知りえた患者さんの悪しき習慣を指摘していかなければ治癒へと導いていけません。
この「戒める」の中に大きく二つの意味があると言えます。
更に「鍼・戒める」の意味のほかに「ひとつにする」と言う意味もあります。
この「ひとつにする」の意味を含め「鍼」の意味するもののまとめは次回に続きますのでお待ちください。

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2005年以前の温穂堂健康コラムのバックナンバーはこちら

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